TOKIOの黄金期を振り返る!長瀬智也・山口達也がいた頃の伝説とは?

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TOKIOといえば、音楽もバラエティも本気で取り組む“異色のジャニーズ”として知られていましたよね。

特に長瀬智也と山口達也が在籍していた頃のTOKIOは、まさに黄金期!
「LOVE YOU ONLY」や「宙船」のヒット、そして『ザ!鉄腕DASH!!』での体当たり企画が、彼らを国民的グループに押し上げました。

そんな全盛期のTOKIO、実際にはどんな活動をしていたの?
メンバーの活躍ぶりや脱退の理由、今でも語り継がれる名場面などをこの記事でたっぷり紹介します!

この記事ではこんなことがわかります👇

  • TOKIOの全盛期はいつだったのか
  • 長瀬智也・山口達也が活躍した“伝説の時代”の全貌
  • 『鉄腕DASH!!』で話題になった人気企画とは?
  • 音楽活動の代表曲とその背景
  • メンバーの脱退理由とその後の動向

懐かしさと感動がよみがえるTOKIOの黄金期を、一緒に振り返ってみましょう!

ぜひ最後までご覧ください。

目次

TOKIOの黄金期を振り返る!絶頂期はいつだった?

TOKIOがどんなグループで、どのタイミングで絶頂期を迎えたのか。
その全貌を知ることで、今では見られないあの輝きがよりリアルに蘇ってきますよ。

まずはCDデビューからブレイクまでの流れをたどりつつ、「いつが黄金期だったのか?」を見ていきましょう。

CDデビューからブレイクまでの流れ

TOKIOのデビューは1994年、「LOVE YOU ONLY」で鮮烈なCDデビューを果たしました。

この楽曲はアイドルらしいキャッチーさとバンドサウンドが融合した、まさにTOKIOらしさの原点といえる1曲です。

その後も安定した人気をキープしながら、1995年にはバラエティ番組『ザ!鉄腕!DASH!!』がスタート。

この番組の影響力が徐々に広がり、グループとしての幅が一気に広がりました。

つまり、音楽とバラエティの両面で活動を続けるという、ジャニーズとしては珍しいポジションを築いたのが大きな特徴ですね。

そして2006年、中島みゆき作詞作曲の「宙船」が大ヒット。
これが音楽面でのピークのひとつとも言われています。

次の項目では、その「ピーク」と呼ばれる時期の中でも、特に印象的だった背景について掘り下げていきますね。

続いては、最も注目された時期とその背景を見ていきましょう。よかったらそのまま読み進めてください✨

長瀬智也・山口達也がいた頃の伝説とは?

長瀬智也と山口達也が在籍していた頃のTOKIOは、まさに「最強の布陣」とも言える状態でしたね。

この2人の存在があったからこそ、TOKIOが多方面で活躍し、黄金期を築けたともいえます。
ここでは、音楽面とバラエティ面の両方から、その「伝説級の活躍」を振り返っていきます。

「LOVE YOU ONLY」「宙船」などヒット曲の功績

TOKIOの代表曲といえばやっぱり「LOVE YOU ONLY」ですよね。

この曲は1994年のデビュー曲でありながら、今もファンの間では圧倒的な人気を誇っています。

当時のジャニーズには珍しい「バンド形式」で演奏しながらパフォーマンスするスタイルが斬新で、長瀬智也の歌声と山口達也のベースが絶妙にマッチしていたのが印象的です。

そしてもう1つ忘れられないのが、2006年の大ヒット曲「宙船(そらふね)」。

この曲は中島みゆきが提供したことでも話題になり、オリコン1位を獲得するなど商業的にも大成功。
力強いメッセージ性と、長瀬智也のエモーショナルなボーカルが融合した名曲でした。

音楽活動だけでなく、演奏技術やライブパフォーマンスも高評価を得ていて、”ジャニーズの中でも異色の存在”として確固たる地位を築いていました。

この次は、バラエティ番組での2人の活躍ぶりについて深掘りしていきますね!

バラエティ番組で見せた魅力と存在感

TOKIOといえば、『ザ!鉄腕!DASH!!』を抜きに語れませんよね。

1995年にスタートしたこの番組は、ただのバラエティではなく、リアルな体験と挑戦が詰まった「ガチ番組」。

長瀬智也は番組内で体を張って農業やDIYに挑戦し、視聴者を魅了しました。
とにかく一生懸命で、でもちょっと不器用なところが逆に好感を持たれていたのが印象的です。

山口達也はDASH村を中心に活躍し、農業や自然との共存を本気で学びながら取り組んでいました。
彼のリーダーシップと器用さは番組内でも群を抜いていて、まさに“職人系ジャニーズ”の代表格でしたね。

当時の視聴率も非常に高く、家族で安心して観られる番組として定着していました。

また、他のバラエティ番組でも2人はナチュラルなトーク力と空気感で場を和ませる存在であり、バンドとはまた違った魅力を放っていました。

音楽・バラエティ両方で求められる存在って、なかなかいないですよね。

ここからは、そんな2人の輝きがさらに大きくなっていた時代、「鉄腕DASH」がどれほど人気を集めていたのかを詳しく見ていきますね!

TOKIOの『鉄腕DASH』時代!視聴率と衝撃の企画まとめ

TOKIOの全盛期を語るうえで欠かせないのが、やっぱり『ザ!鉄腕!DASH!!』です。

この番組は単なるバラエティではなく、TOKIOメンバーが本気で挑戦する姿が多くの視聴者に刺さり、番組そのものが「国民的番組」として君臨していました。

ここでは、特に話題となった企画や高視聴率を記録した名場面を紹介していきますね。

「ザ!鉄腕DASH!」はいつ見ても本当面白くて大好きな番組でした。

DASH村・無人島DASHなど人気企画

まず語らずにいられないのが「DASH村」。

福島県の山奥にゼロから村を作り上げるという壮大な企画で、農業・建築・水道・電気など、生活のすべてをメンバー自身が手掛けていました。

山口達也は大工や農作業の腕前がプロ並みで、視聴者から「まるで本職」と称されるほど。
長瀬智也も「チェーンソーが似合うアイドル」として人気を集めていました。

次に話題となったのが「DASH島」。

こちらは無人島を一から開拓するというシリーズで、よりサバイバル色が強く、視聴者のワクワク感をかき立てる内容でした。
船を自作したり、炭焼き窯を作ったりと、どれも芸能人とは思えないほどの本気度でしたね。

企画のスケール感とTOKIOの真剣さが、世代問わずファンの心を掴んで離しませんでした。

この次は、TOKIOのメンバーたちがなぜグループを離れることになったのか、その「脱退理由」について掘り下げていきますね。

山口達也さんの何の作業をしていても器用な手つきがとても面白くて興味深かったです。

TOKIOメンバーの脱退理由とは?長瀬智也・山口達也の決断

TOKIOの黄金期を支えたメンバーが、なぜグループを離れることになったのか。
ファンにとってはとてもショッキングで、今もなお語られることの多い出来事ですよね。

ここでは、山口達也と長瀬智也、それぞれの脱退理由について丁寧に振り返っていきます。

山口達也の不祥事と脱退の経緯

山口達也は2018年に未成年との飲酒問題で世間を大きく騒がせました。

報道後すぐに活動を自粛し、グループとしての活動も一時停止状態に。
最終的にはジャニーズ事務所との契約が解除され、正式にTOKIOを脱退しました。

この出来事は、長年築いてきたTOKIOのイメージや信頼を大きく揺るがすもので、ファンにとっても受け入れるのがとても難しいニュースでしたね。

DASH村での活躍など、山口達也の存在感があまりに大きかったからこそ、その喪失感は計り知れませんでした。

しかし残ったメンバーは、グループの絆を守りながら番組や音楽活動を続ける姿勢を貫きました。

次に、もうひとりのキーマン・長瀬智也の脱退理由についても見ていきましょう。

長瀬智也の脱退理由と現在の活動

長瀬智也は2021年3月をもってTOKIOを脱退し、芸能界も事実上引退となりました。

脱退理由として語られたのは、「表現者として新しい道を進みたい」という本人の意志によるもので、決してネガティブな理由ではありません。

彼は音楽や表現に対するこだわりが非常に強く、テレビや事務所の枠にとらわれず、自分のやりたいことを追求するための決断だったと言われています。

現在は表舞台からは姿を消していますが、クリエイティブな裏方業や独自の表現活動に携わっているようです。

このように、それぞれが異なる理由でグループを離れることになりましたが、TOKIOとしての歴史や功績は今も多くの人に愛されています。

次は、そんなTOKIO全盛期の名場面やファンの記憶に残る“神回”をまとめていきますね!

TOKIO全盛期の名場面まとめ!あの感動と笑いをもう一度

TOKIOの全盛期には、今でも語り継がれるような“名場面”がたくさんありました。

音楽、バラエティ、ライブ、そしてファンとの交流まで――すべてが全力で、すべてが本気だったからこそ、人々の心に強く残っているんですよね。

ここではそんな“あの頃”の感動と笑いを呼び起こす、名シーンやファン人気の高かった回をまとめてご紹介します。

紅白歌合戦の名シーン

TOKIOは何度もNHK紅白歌合戦に出場しており、ジャニーズの中でも“歌えるグループ”として確固たる地位を築いていました。

特に印象深いのは、2006年の「宙船」披露時。
中島みゆきが楽曲を提供した話題性に加えて、演奏中の長瀬智也の気迫あふれる歌唱が大きな話題を呼びました。

バンド形式で本格的な演奏を見せるスタイルは、アイドルの枠を飛び越えた存在として紅白の中でも異彩を放っていましたね。

また、年末のステージで城島茂が満面の笑みでギターをかき鳴らしていた姿も、ファンの間では「今年も締めくくれた」と話題になっていました。

紅白は、TOKIOにとって「年を締めくくる場所」であり、「国民的バンド」としての証でもあったんですね。

ファンが選ぶ「全盛期の神回」

ファンの間で“神回”とされているのが、『鉄腕DASH!!』の「DASH村で年越し」企画。

メンバー全員で作ったおせち料理を囲んでの年越しは、アットホームで、まるで家族のような雰囲気でした。
視聴者からも「一緒に年越しした気分になれる!」と好評で、シリーズ化されるほどの人気でした。

さらに、無人島DASHで長瀬智也が手作りボートを完成させたシーンや、松岡昌宏が蜂蜜を手で採取するシーンなど、リアルすぎる挑戦はどれも伝説的な回ばかり。

TOKIOが見せた「アイドルらしからぬ泥臭さ」と「本気の姿勢」が、多くの人に感動や笑いを届けてきたんですね。

よくある質問(Q&A)

Q: TOKIOの全盛期はいつ頃だったの?
A: 一般的に2000年代前半から2006年の「宙船」リリースあたりが、音楽とバラエティの両面で最も輝いていた全盛期とされています。特に『鉄腕DASH!!』での人気がピークに達した時期でした。

Q: 『鉄腕DASH!!』で一番人気だった企画は?
A: 「DASH村」と「DASH島」が圧倒的に人気でした。TOKIOメンバーが本気で農業やDIYに取り組む姿が、多くの視聴者に支持されていました。

Q: 山口達也の脱退理由はなんですか?
A: 2018年に未成年との飲酒問題が発覚し、ジャニーズ事務所との契約が解除されたことによりグループを脱退しました。

Q: 長瀬智也はなぜ脱退したの?
A: 表現者として自分のやりたい道を追求するため、2021年にTOKIOを脱退。芸能活動からも事実上引退しました。

Q: TOKIOの代表曲にはどんなものがある?
A: デビュー曲「LOVE YOU ONLY」や、中島みゆき提供の「宙船(そらふね)」が特に有名です。どちらもグループを象徴する楽曲として愛されています。


まとめ

今回の記事ではこんなことを書きました。以下に要点をまとめます。

  • TOKIOの全盛期は2000年代前半から2006年頃まで
  • 長瀬智也・山口達也の存在が黄金期を支えた
  • 音楽では「LOVE YOU ONLY」「宙船」が大ヒット
  • バラエティ番組『鉄腕DASH!!』で見せた本気の姿が国民的支持を集めた
  • 山口達也は不祥事によって、長瀬智也は表現者としての道を求めて脱退
  • 今でも語り継がれる名場面や“神回”が数多く残っている

TOKIOが築き上げた数々の功績や伝説は、今なお多くのファンの記憶にしっかり刻まれています。

この記事を通して「また見たくなった」「当時の感動を思い出した」と思ってもらえたらうれしいです。
過去の輝きを振り返ることで、今も変わらずTOKIOが愛されている理由が見えてきますよ✨

最後までご覧いただきありがとうございます。

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